散ればこそいとど桜はめでたけれ 憂き世になにか久しかるべき 物語とは「言霊の荒木博之氏は『古事記』に「ことのかたりごと」と断りしてある部分があることなどから、 「ものがたり」と「ことのかたりごと」 とは古代の人間はカテゴリーを分けていたと論じています。 今も「人生はむなしいもの」であって決して「人生はむなしいこと」とは言わず、 「何と馬鹿げたことをしでかしたものだ」とは言っても 「何と馬鹿げたものをしでかしたことだ」とは言わない点で この使い分けは生きていると指摘されます。 「こと」が「1回的事件」であるのに対し、 「もの」は「世の原理・法則」であり「ものがたり」は 「世の原理・法則についての、あるいは原理・法則を知らしめるための説話」ということになります。 鹿児島県の黒島に伝承されている昔話の語り始めのきまり文句は 「さる昔、ありしかなかりしか知らねども、あったとして聞かねばならぬぞよ」であり、 大隈半島、薩摩半島に伝わるのも同じ趣旨の語りはじめであるということです。 出来事・実話の伝承に主眼を置いてないのが物語りの特徴です。 竹取・源氏・伊勢・大和・平家など物語文学は、 黙読ではなく「語り」によって「もの」を教えた文学と言えます。 美しい音声表現で味わいたいと思い、 また新しい伝達媒体にふさわしい物語文学・表現の登場も期待します。 物語絵巻の書の形奈良時代から印刷技術のある日本では流行の物語は木版出版されて広く普及しました。 挿絵のあるものもあります。古典文学全集に今も必ず入っていて絶えることないロングセラーです。 書で有名なのは平安末期の作品、絢爛豪華な「源氏物語絵巻」で
大部分が便箋につめて書いたような形。現代書家にもこの形の作品があります。
ほかに、文頭を高いところから書き始めて次第に行頭を下げ文末は低い位置になる、
イントネーションに似た読みやすい形もあります。
読本として、手習の手本として、また鑑賞にも適しています。 物語文学の形平安期の物語文学は歌のことばがきが発達した形と言われており、 章の後りに歌が書かれています。この歌が原理・法則を表しているという形です。 イゾップ寓話がイソップ物語と呼ばれるのは最後に教訓があるからではないでしょうか。 平家物語には歌がありませんが、はじめに 伊勢物語第82段さて、伊勢物語は竹取物語と同じくらい古いと考えられる歌物語です。 「伊勢物語」という名の由来や作者は明示されておらず、10世紀中ごろにはできていました。 在原業平(825〜880)の歌を中心に有名無名の和歌と小話で、本によって違いますが115〜136段です。 和歌というものを、そして人間関係というものを教えてくれます。 和歌の教本として極めて優れたものです。(第八十二段)はじめの部分 世の中に絶えて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし ・・・ 右の すると 散ればこそいとど桜はめでたけれ 憂き世になにか久しかるべき ・・・別の人 桜の美しさと哀感が伝わってくる2首ですが、桜のせいで・・、と言えば、
桜は散るからいいんだ・・と詠い、人それぞれに思いは違うようです。
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紫式部が『源氏物語』を執筆してから100年ないし150年ののち、
平安末期にこの豪華な絵巻物(おそらく全10巻)ができました。
現存しているのは3分の1程です。絵も書もそれぞれの道の一流の数人ずつの手による合作と
推察できます。 主な参考文献 「やまとことばの人類学」
荒木博之著 朝日選書293 |