人が筆を持つと「健」「聿」(イツ)は「筆」、「書」などに含まれている「筆」の象形文字。上部のヨの真ん中の線がつき抜けているのが右手をあらわし、縦棒と下部の二で筆の形を示しています。「建」は「廴」(エン)が長くのばす意の指事。のびやかに筆が立っています。建立・建設・建白・建国・・・なにか始めようとすればまずしっかりと筆を使うことになります。 「健」(ケン・すこやか)はからだが丈夫なこと。つよい意味から男子の名前にもよく使われます。 人が筆を持つとのびやかな姿勢をとります。また健康状態が良いと文字にも文章や画にも力が感じられます。 また、健康の「康」は穀物の殻や糠(ぬか)。あるいは脱穀する動作を表しています。まだれの中が聿に似ていますね。やはり右手で棒を持って米を搗いている形でしょう。まだれは室内を意味します。 書は室内スポーツ書は、書くことと、書かれたものとを指しますが、書く動作に着目するとスポーツといえます。まず、練習すると上達します。 良い手本やよい先生に出会うと上達がはやく、目習いというメンタルトレーニングもあります。 運動不足を解消する。体力気力胆力がつく。姿勢が良くなる。惚けない。胎教によい。 書痙(しょけい)というテニスひじのような症状が出ることがありますし、ジョギング同様に臨書や写経や日記などを日課にする人もあります。 そして、歩きたくなければ車があり、書きたくなければワープロがある昨今ではスポーツと同じで体力の浪費です。 健康の原点とも言えるこの室内スポーツ「書」を見なおしてみませんか。性別・年齢制限がないのも魅力です。競書やコンクールも多彩で研修会やグループ展といった交友ももてます。 人生の記念になるような時に日本で実用に使われる書のほとんどが王羲之を規範にしていますが、その書聖永和9年(353)47歳の王羲之は僻地、会稽山の蘭亭に名士や一族を招いてみぞぎを行い曲水の宴を催しました。天気は良く山水景勝の地でたちまち詩集ができ王羲之が即時に書いた序文がこの「蘭亭序」です。 王羲之は優美で筆力有る作風だったようですが、59年の生涯を通して壮健とは言いきれなかったようで名門の生まれでありながら地方官を好み、49歳で会稽の長官を最後に官を辞した後もその地にとどまり自ら逸民と称して書の工夫などして自適の生活を送りました。退職後は代筆を使っていたとの説もあり、多作ではなかったようです。行書・草書の短い手紙が現在も貴重な手本とされています。名人ともなれば手紙1本でも短い文にして、字配り字形とも良いものをと努力してしたためたのでしょう。 好調な時の作品は書いた本人も見る人も感動を楽しく再現できるようです。人生の記念になるような良い時になにか書き残しておきませんか。 |
420年に王羲之(307〜365)の生きた東晋の国の滅亡とともに建てられた宋の国を南朝のはじめとし、439年北魏が乱れていた華北を統一してから、589年の隋の天下統一までを中国の南北朝時代と呼びます。 主な参考文献 |
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