古今和歌集巻第一 春歌上 ふるとしに春立ちける日よめる 明治改暦が問題紀貫之がなぜこんな芸術的とは思えない歌を選び巻頭に置いたのか不思議に思います。もう一つ不思議なのはなぜ年内立春が起こったのかです。そこでネットサーフィン。結論から言えばぴったりの答えは探せませんでした。しかし、そこで明治の改暦が問題点を残したとする見解のサイトがいくつかあるのに気づきました。明治5年11月9日公布、明治5年12月3日を明治6年1月1日としたのは役人の給料を年俸制から月給制へ改めたため、閏月の入る明治6年の給料を13ヶ月払わなくてすませるためと、明治5年の12月の2日分の給料も払わずにすませるために急いで改暦したので、充分な検討をする時間がなかったとのことです。 いま使っているグレゴリオ暦は太陽暦ですので冬至が年の初めになるのが理想であったはずですがなぜか少しずれています。どうせなら立春までずらせば日本人は好都合です。節分に鬼を払って新年を迎えます。お餅は寒中につくのでかびませんし、梅の花は咲いています。七草を栽培するのに電力をたくさん消費しなくてすみます。桃の節句に桃が咲きます。端午の節句には初夏の花がさかりです。七夕はいちばん暑い時です。九月九日の長陽の節句に菊が咲きます。八十八夜や二百十日といった農事暦とも一致します。・・・宣明暦は823年、天保暦は28年、グレゴリオ暦ははや127年、もう改暦の可能性は断たれたのでしょうか。西洋暦と併記カレンダーの国もあるのですが。ともあれ「初春のおよろこび・・」にしようか、「賀正」にしようか、「あけまして・・」にしようか・・・師走は国民こぞって芸術家の季節です。 日本は年の初めに立春在原元方の時代に天安元年(857)の五紀暦、貞観3年(861)の宣明暦と立て続けに改暦がありましたので、このどちらかが立春以降に元日を定めたのではないでしょうか。それを元方が、日本は年の初めに立春だと歌で主張したのではないかと思います。そして、紀貫之らは編纂にあたって、この歌を冒頭に置くことで、和歌は単に読み書きを楽しむため学ぶためのものではなく、また古今集は政治的役割を持った史書でもあると示したのではないかと思うようになりました。古今集仮名序にこう書いています。「・・・・・ちからをもいれずして あめつちをうごかし めにみえぬ鬼神をも あはれとおもはせ をとこ女のなかをもやはらげ たけきもののふのこころをも なぐさむるは歌なり このうた あめつちの ひらけはじまりける時より いできにけり」 |
主な参考文献 |
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