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NO.14 【 竹里館 】
---解説【意臨】---

このページの内容

 獨坐幽篁裏 弾琴復長嘯 深林人不知 明月来相照 (王維)
 竹やぶの奥ひとり坐って琴を弾いたり歌ったり 林が深くて人は知らない 明るい月が来て照らす(壺竹訳)

 王維・自然詩人

 王維(700?〜761?)は李白や杜甫と同時代の詩人ですが、李白のように豪放ではなく、杜甫のように沈鬱雄渾な政治批判もない、綺麗、枯淡に人間の生活の楽しさを歌いました。唐の自然詩人、王維・孟浩然・韋応物・柳宗元のいわゆる王孟韋柳の代表と目されます。

 清の鄭板橋・揚州八怪

 書と画は鄭板橋の「竹叢図」を参考にしました。
 『鄭ショウ(上-火言火・下-又)(1693〜1765)江蘇興化の人、字を克柔、板橋と号した。進士に登第後は山東のイ(サンズイに維)縣の知府となり、よく善政を布いて住民に慕われたと言う。後、飢饉の年、住民を庇うの余り中央と衝突して官を去り、揚州に流寓してここで文墨に親しむ生活を送り、四隣にその盛名を謳われた。
 世に言う "揚州八怪" は、鄭ショウ、金農等を中心とする自由人的芸術家の群で、康煕、乾隆間にそのユニークな書画によって一時代を画する活動を示して、後世へ大きな足跡を残したことは余りにも有名である。』
 引用-- 「書道グラフ」1989.5月号(青山杉雨)・近代書道研究所

 竹の図と「六分半書」

 鄭板橋の竹の絵と、彼みずから「六分半書」と称した、隷書と楷書を半分ずつ交えた書を真似てみたくなって「書道グラフ」を食卓において旬日ながめ、そのゆがんだ字が目になれたころ、彼は竹が好きなのだと確信をもちました。一点一画すべて、竹の節や小枝やはためく葉のようです。そこで書いてみたら腕前の差に愕然としました。もっと練習すれば、『痩勁孤高は竹の神、豪邁にして雲を凌ぐは竹の生』という鄭板橋の竹の見解に近づけたのでしょうが、ほんの少しでこうして掲載してしまいました。
 清の曾衍東は彼の書を、創作というよりしょう)ヨウ(133?〜230 楷書の創始者とされる)の碑文に学んでひろめたと見ています。そんな解説に触れるとそれもなるほどと思ったりしながら書きました。
 cf.上海博物館所蔵 中国明清書画名品展図冊 社団法人日本書芸院
 (注)「六分半書」:隷書には八分はっぷん)という、一字のうち一番目立つ横線の収筆に波磔はたく)(三角のひげのような装飾)を使っている書風がある。隷書と楷書を半分ずつ交えた書という意味で、この「八分」をもじって名づけている。

解説は画像の下に続きます



竹やぶの奥ひとり坐って琴を弾いたり歌ったり 林が深くて人は知らない 明るい月が来て照らす




 意臨の解釈

 臨書には、形を真似る形臨・筆意を真似る意臨・記憶で真似る背臨があります。
 このうち意臨とはどうすることなのでしょう。つまり筆意とは何でしょう。元気が良いと思えば元気よく、流れが良ければうまく流す、・・・というようなことでしょうか。しかし、同じ物でも見る人見る時によって感じ方は違います。
 二玄社の書道技法講座23唐-顔真卿「争坐位稿」行書-山崎大抱編でこの感じ方を知りました。たとえば
  • 天=次第次第に筆を吊り上げて、大空に朗々と線を引く。第一、二画は比較的厚みがあって潤い、あとは気の赴くまま心身ともに暢びきっている。
  • 定=ウ冠を力強く、下部との間に広い白をとる。百錬の鋼鉄をたわめたような、弾力性に富み、強大な線の迫力は我々を圧倒して止まぬ。
 そういわれるとそのようにも見えるので、他の字を私なりに言葉にしてみたら大抱先生とはまるで違います。そこで考えました。形臨でも長さや角度の比率を目測するのはむずかしくて試行錯誤を繰り返すのだから、意臨でも一度に感じ取れなくてよいのではないかと。一画目バシッと見えたらバシッと書いて見る、二画目さらり、三画目ググーッ、四画目のびのび・・・観たとおりに書き上げた結果似てないところは感じ方から改めればよいのではないか・・と考えました。形臨で、だんだん太くとか、このへんで曲げて・・に慣れているせいかもしれませんが、へたな形臨とおなじくらい形も似るのです。しかも面白味があります。芸能人の物まねが服装を似せるより表情やしぐさを似せた方が受けるようなものです。

 芸術

 『竹林に月が出た』ということばは芸術とはいえないでしょう。なにか本質をとらえ、感動し、何らかの方法でそれを表現し、その表現に共鳴する誰かがいてはじめて芸術ですね。『大空に朗々と線を引く』『百錬の鋼鉄をたわめたような弾力』は共感を覚えた私にとって芸術と言えるでしょう。『点画の間を等しく』、『画数の少ない字は小さく肉太に』などの楷書結構法も美しさの要素として学んだときには感動しました。書の鑑賞の言葉はそれ自体芸術と言えるかもしれません。

 書道史の上で、臨書の観点が形から離れたのは明の初期の文徴明(1470〜1559)や祝允明あたりからです。明末清初の王鐸(1592〜1652)は一日おきに臨書と自運(創作)を繰り返したそうですが、その臨書はあまり形が似ていません。その臨書作品は自運作品より高く評価されていたそうです。臨書でも本質をとらえた感動があれば、そしてだれか(後世の人であろうと)に伝われば芸術ですよね。書はそっくりに(不可能ですが)書いても盗作ではありません。    





★お便りありがとうございました★
書道を学び始めて6年になります。 そろそろ還暦を迎える私にとって書道は 日常生活のストレスから逃れられます。 また最近は書道によるストレスもありますが 生涯の勉強&楽しみと理解してます。
書道の師から学ぶこと、 インターネットでも色々な書の情報がありますが 書の考えを整理するのに役立ちました。 キョンシー


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