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NO.13 【 無用の用 】
---解説【執筆】---

このページの内容

 儒教と道教

 孔子から150年ほどのち戦国時代も末期になると心のケアが必要とされ多くの思想家が活躍しました。正道がすたれた時なので孔子のように整然と理論展開できる学術的な説は生れませんでしたが、多様なケースに対応していく中で現実的な思想が生まれました。ここに基礎ができて儒教と道教はは中国の主要な思想として生きつづけることになります。政治の表舞台は孔子の儒教で、私生活や隠居した後の自由と平安は道教というのが基本で、政権によっては儒教一辺倒の時もあり、逆に政術にも道教を用いたこともあります。

 さてこの紀元前4世紀後半の代表的思想家、儒家の孟子・道家の老子・荘子の言葉と説話は、論戦をくりひろげた記録であり、苦難にあえぐ人々を救う努力の成果でもあります。書作にもこの頃の思想家の言葉がよく使われます。今回は荘子の「無用の用」を書いてみました。

 「無用の用」

惠子けいし)が荘子にむかっていった。「あなたの話は{現実離れで}実際の役には立ちませんね。」荘子は答えた。「役に立たない無用ということがよくわかってこそ、はじめて有用について語ることができるのです。いったい大地はどこまでも広々として大きなものだが、人間が使って役立てているのは足でふむその大きさだけです。しかし、そうだからといって、足の寸法にあわせた土地を残して、周囲を黄泉にとどくまで深く掘り下げたとしたら、人はそれでもなおその土地を役に立つ有用な土地だとするでしょうか。」惠子は「それじゃ役にたたないでしょう。」と答えたので、荘子はいった、「してみると、役に立たない無用にみえるものが実は役にたつはたらきを持っているということが、今やはっきりしたことでしょう。{わたしの話もそれですよ。}」
 惠子謂荘子曰、子言無用、荘子曰、知無用、而始可與言用矣、夫地非不廣且大也、人之所用容足耳、然則廁足而□(執+土)之、致黄泉、人尚有用乎、惠子曰、無用、荘子曰、然則無用之為用也、亦明矣、
                             cf. 「荘子」金谷治・訳注、岩波文庫

解説画像の下に続きます





無用の用


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それ天地は広くかつ大ならざるにあらざるも人の用うるところは足を容る丶のみ しからばすなはち足をはかりてこれをほり よみに到らば人なお用うることあらんか 無用の用たるやまた明らかなり

 理科系とちがって文科系が無用扱いされやすいのは昔からのようです。とくに正道からはずれた時代には。

 余白

 話はそれますが、画面で楽しむ書作品を工夫しようと、透過gifにして背景に画像などいれてみると、その画像によっては、とたんに墨色も文字の形もわからなくなって書線はただの黒いじゃまものになってしまうことがあります。そしてそんなとき、余白は余りではなくて作品の構成要素なのだと思い知るのです。線はシルエットではなく墨色を持っているし、ブランク・空白は他のものをつめこんではいけない間だと主張するのです。油絵なら背景をぬりこめ、必要なだけ重ね書きするのですが書は、紙を前にして舞った軌跡ですから重ね書きはしません。できた書線と空白はともに作品をかたちづくって完成します。
 何も手を入れない空白のもつ価値は床の間や玄関にかざったときにそこが明るく清らかに感じられることでわかります。こうして画面を作っていても色柄のある紙に書いたときには背景のどこかに白をつかいたくなります。白と言う色の特徴なのかもしれません。
 白黒をはっきりさせたくない日本人の美意識は墨量の変化をたのしみます。水墨画法をつかった絵のような書作品もあります。そうした種類の作品はとくに背景に画像をすべりこませるような細工は慎重にと思います。
 また、余白を切り取られるのを防ぐために右肩に引首印(関防印)を押した作品もあります。書線だけが作品とは思っていないしるしでしょう。「無用の用」を書きながら思ったことです。

 一条摂政集

 書風は平安後期の藤原伊尹これただ)(924〜972)家集かしゅう)一条摂政集いちじょうせっしょうしゅう)を参考にしました。筆者は西行(1118〜1190)と伝えられますが、さだかではなく、一手ではないようにみえます。一部は伊尹本人や西行かもしれません。13.2×12.2cmの小さな冊子本で自記の歌物語です。内容的にも書的にも淡々として気負いのないかろやかさで親近感をいだきます。装丁も素朴です。机上でなく手で素朴な紙を持って傾斜させ筆先でつっこんでかいているような線の動きもみられます。
        cf. かな古典の学び方15・「伝西行 一条摂政集」・榎倉香邨編・二玄社

 平安末期、かなは美しい作品を多彩に見せながらも、実用の時代にさしかかっていました。能書家も即興的な書作を楽しむようになったのでしょう。あるいは戦乱続きで芸術どころではなくなっていたのかもしれません。

 腕と筆が垂直

 この自然さにあこがれて厚紙に白い紙をのせて斜めに浮かせて書いてみました。このとき筆と紙とは垂直にちかい範囲で接します。角度が傾きすぎると紙がにげてしまいます。しかし机に置いた紙に書くときには筆と紙は垂直である必要はありません。かわりに腕と筆が垂直になる必要があります。このあたりを考えてみましょう。

 まず筆と箸とは同じもち方をします。箸でものを挟むときに動かす方、つまり人差し指にそっている方の1本が筆です。これで何かを突くときのことを思い浮かべてください。のばした親指と箸とは垂直ですね。これが箸の先に一番力が加わるかたちです。さらに細かいことを言えば、親指の位置はやじろべいして釣合いのとれる、重心におくと効率的です。バットやラケットと同じで、力の弱い人は長く持たないほうががよいでしょう。太い筆の場合はいろんな指のかけ方がみられますが、腕と筆の軸とが垂直になっています。かなづちの金の部分と取っ手の関係とみましょう。この取っ手が手首で弱くなるのを避けるため、手首を上に立てひじと筆とが近くなる持ち方もうまれるのでしょう。さらに中国ではこれを固定するように人差し指で天を指差すような持ち方をみかけることもあります。ほうき(箒)のようににぎっても同じです。ゆびのかけかたは自由ですが力学は変えられません。腕と筆とは直角が原則です。床や天井や隙間に書く場合には無理ですが。そして壁に垂直にくぎを打つかどうかは表現の自由であり、傾けてくぎを打つ時には必ずかなづちはくぎの刺さる方向へ力を加えますね。

 次に、鋒のことを考えてみます。鋒はたいてい獣の毛でできていて細い繊維のあつまりです。これは筋肉の構造と似ています。繊維の束をねじることでエネルギー、つまり墨液がしぼりだされます。じょうずな人が縦線を引く時にひじが横にはっていくのはこのためです。書きなれて筋肉が発達すると腕の屈伸だけでかなりの線が引けるようになります。このとき脇をとじていると書きにくいだけでなく、墨がつづきません。2本の箸の先をみながら、ねじれが生じるかどうか考えてみましょう。ひじをあげて手のひらの向きを変えることで金槌の原理をはずさずに長く墨がつづきます。指や手首のスナップを使うと筆の軸が腕の骨と直角になりません。腕の回転を使うべきでしょう。これを背骨の動きと組合せて連続的につかう表現技法もあります。そこで、右ひじは体からはなれ、左脇はしめた形をとります。ひじごと、背骨ごと動かすと、かなづちの原理で表現でき、しっかりした線をひくのに有利です。

 最期に筋肉のことを考えてみましょう。筆は指で持っていますが動かすエネルギーは指だけでは足りません。今まで述べたように動いているのは少なくとも右腕全部です。この、ひじをあげ、腕を動かすために肩や背中の筋肉の働きが必要です。背骨も動きます。そしてその動きに振り回されないだけの体の安定をはかるため、息を止め左手と足腰を安定させます。体の半分の筋肉は下半身に有ります。力強い線をひくためにこの大きな筋肉で生じるエネルギーを使わない手はありません。学校の書道部などで腹筋運動をしているところがありますが、的を得たトレーニングといえましょう。筆の持ち方と同時に足腰の構えを習うのもこのためです。全身で書きましょう。
 筆や箸の持ち方(こちらに説明しました)は正しくしたいですね。体の使い方の基礎になります。手先の器用さと頭の良さは関係有るとおもいます。なお箸の場合は両ひじを体にそわせていても食べ物は口に届きますね。        2000.10.23.  2001.8.4.修正    


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