私の教えは弘法大師の法力より勝れているという話
青柳又左衛門が言った。「越後の国は弘法大師の法力によって石油が地中より湧き出て、今だに絶えない」と。二宮尊徳翁が言うには、不思議といえば不思議なことだが只一か所のみだ。尊ぶに足りない。
私の道はそれと違って最も不思議だ。どこの国でも荒地を耕して菜種を蒔き、そのみのりを得てこれを油屋に送れば、種一斗で油二升はきっと出て永代絶えない。これは日本固有で天照大御神の時代から伝来の大道で、肉食妻帯暖衣飽食していても知恵があろうとなかろうと、すべての人誰にでもできる。これは太古からずっと伝えられている大道で、日月が照らしているかぎり、この世界があるかぎり間違いなく行われる道だ、だから大師の法よりはるかに勝れているではないか。
且つ私の道にはまた特に賞すべき大効験がある。一銭の財もないのに世界の困窮を救い、すべての人に施し国中を富まし豊かにして、なほ余りある方法だ。その方法というのはただ分度を定めるという一つのみ。私はこれを相馬・細川・烏山・下館の諸藩に伝えた。しかし、これは諸侯大家でなければ行うことのできない術だ。
このほかにも術がある。原野を変えて田畑とし、貧村を変えて福村とする術だ。
また愚夫愚婦皆にさせることのできる術がある。山奥の家にいて海の魚を釣り、海浜に居て深山の薪をとり、草原から米麦を出し、争わずに必ず勝つという術だ。
ただ一人にさせることができるというのではなく、智愚を分たず天下の人皆にさせることができる。いかにも妙術ではないか、よく学んで国に帰り、よく勧めなさい。我が道は弘法大師の法力に勝れる話(世に「人の短を説かず、己の長にほこらず」(北斎書)といふのがある。しかしここで翁が説かれる仕法のことは決して己の長をほこってゐるのではない。けだしこれだけの自信があればこそ、あれほどの未曾有の苦行にも堪えられたことを思ふべきであらう。) 青柳又左衛門(越後長岡市上前島の名主。笠井亀蔵の仕法の件で江戸に出て翁に会ひ教説をきいた)曰はく「越後の国に弘法大師の法力により水油(石油のこと)地中より湧き出で、今に到って絶えず」と。翁曰はく、奇は奇なりといへども只一所のみ。尊ぶに足らず。
我が道はそれと異にして最も奇なり。何国にても荒地を起して菜種を蒔き、そのみのりを得てこれを油屋に送れば、種一斗にて油二升はきっと出でて永代絶えず。これ皇国固有天祖(天照大御神。)伝来の大道にして、肉食妻帯暖衣飽食し智愚賢不肖を分たず、天下の人をして皆行はしむべし(誰にでもできる。)。これ開闢依頼相伝の大道にして、日月の照明あるかぎり、此の世界あらんかぎり間違ひなく行はるる道なり、されば大師の法に勝れる万々ならずや。
且つ我が道また大奇特(特に賞すべき大効験。)あり。一銭の財なくして四海の困窮を救ひ、あまねく施し海内を富僥(富んで豊かなこと。)にして、なほ余りあるの法なり。その方法ただ分度を定むるの一つのみ。予これを相馬・細川・烏山・下館(いづれも翁が仕法を実施して著しい成果をあげた藩である。)の諸藩に伝ふ。しかりと雖も、これは諸侯大家にあらざれば行ふべからざるの術なり。
此のほかに又術あり。原野を変じて田畑となし、貧村を変じて福村となすの術なり。
また愚夫愚婦をして皆なさしむべき術あり。山家にゐて海魚を釣り、海浜に居て深山の薪をとり、草原より米麦を出し、争はずして必ず勝つの術なり。
ただ一人をしてよくせしむるのみにあらず、智愚を分たず天下の人をして皆よくせしむ。如何にも妙術にあらずや、よく学んで国に帰り、よく勧めよ。
同じく、白米が山に登るなどの奇妙
翁がまた言うには、山の木こりが深山に入って木を伐るのは、材木が好きで伐るのではない。炭焼が炭を焼くのも炭が好きで焼くのではない。
木こりも炭焼もその職業さへ勉強すれば、白米も自然に山に登り、海の魚も里の野菜も酒も油も、皆自ら山に登るのだ。奇々妙々の世の中というべきだ。同、白米、山に登るなどの奇妙(山中で働けばとて、その賃金によって里でとれる白米を山中で食することが出来るといふのを、白米山に登ると意表の表現を用ゐて、面白く教説されたもの。味ふべし。) 翁また曰はく、杣(山の木こり。杣人。)が深山に入って木を伐るは、材木が好きにて伐るにあらず。炭焼が炭を焼くも炭が好きにて焼くにはあらず。
それ杣も炭焼も其の職業さへ勉強すれば、白米も自然に山に登り、海の魚も里の野菜も酒も油も、皆自ら山に登るなり。奇々妙々の世の中といふべきなり。
神と仏は同じ、全てのものは天の分身であるという論
翁は言った、世界中、人は勿論禽獣虫魚草木に至るまで、およそ天地の間に生きるものは、皆天の分身と言ってよい。なぜならボウフラでもカゲロフでも草木でも、天地造化の力を借りずに、人力で生育させる事が出来ないからだ。
しかし人はその長だ。だから万物の霊という。その長である証拠は、禽獣虫魚草木を自分勝手に支配し殺生して、どこからも咎めがない。人の威力は広大だ。
しかし本来は人と禽獣草木とどうして分けられよう。皆天の分身であるので仏教では、人間はもとより山川草木に至るまでことごとく仏性をそなえていて仏になることが出来ると説く。我が国は神国だ、ことごとく神になることが出来るというべきだ。なのに世間で、生きている時は人で、死んで仏になると思っているのは違っている。生きているとき仏であるから死んで仏になれる。生きているとき人で、死んで仏になる道理はない。生きているとき鯖の魚が死んで鰹節になる道理はない。林にある時は松で伐ったら杉になる木などない。だから生前仏で死んで仏となり、生前神で死んで神だ。世に人が死んだら祭って神とすることがある。これ又生前神であったから神になるのだ。此の理は明白ではないか。
神と言い仏と言い、名は違っているとは言っても、実は同じだ。国が違うから名が違うだけのことだ。私がこの心をよんだ歌に、
世の中は草木もともに神にこそ死して命のありかをぞ知れ
世の中は草木もともに生如来死して命のありかをぞ知れ
(笑)。神仏一理、万物天の分身なる論(翁の悟道の究極を物語る章。ここにおいては、それはもう釈尊の高きに至って、なほそれよりも自在なことが知られる。) 翁曰はく、世界、人は勿論禽獣虫魚草木に至るまで、凡そ天地の間に生々するものは、皆天の分身といふべし。何となればボウフラにてもカゲロフにても草木にても、天地造化の力をからずして、人力を以て生育せしむる事は出来ざればなり。
しかして人は其の長たり。故に万物の霊(書経泰誓に「惟れ天地は万物の父母、惟れ人は万物の霊」とある。)といふ。其の長たるの証は、禽獣虫魚草木をわが勝手に支配し殺生して、いづれよりも咎めなし。人の威力は広大なり。
されど本来は人と禽獣草木と何ぞ分たん。皆天の分身なるが故に仏道にては、悉皆成仏(仏教にては人間はもとより山川草木に至るまで悉く仏性をそなへてゐて仏になることが出来ると説く。)と説けり。我が国は神国なり、悉皆成神(言ひ得て妙、味ふべきことばである。)といふべし。さるを世の人、生きてゐる時は人にして、死して仏となると思ふは違へり。(ここらあたりの教説に至っては、釈尊がバラ門僧に説教された長阿含経(十六)の論旨と寸分の違いもない。)生きて仏なるが故に死にて仏なるべし。生きて人にして、死して仏となる理あるべからず。生きて鯖の魚が死して鰹節となるの理なし。林にある時は松にして伐って杉となる木なし。されば生前仏にして死して仏となり、生前神にして死して神なり。世に人の死せしを祭って神とするあり。これ又生前神なるが故に神となるなり。(道歌に「生れ来ぬ先きも生れて住める世も死んでも同じ神のふところ」といふのがある。)此の理明白にあらずや。
神と言ひ仏と言ひ、名は異りといへども、実は同じ。国異るが故に名異るのみ。予此の心をよめる歌に、
世の中は草木もともに神にこそ死して命のありかをぞ知れ
世の中は草木もともに生如来死して命のありかをぞ知れ
呵々。
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自分も人も動植物も皆神です。大事にしましょう。むやみにいじめてはなりません。
寺で戸籍を管理していた時代の「神国発言」は度胸ですね。
それにしても人間は難しいことを考えるものですね。哲学・宗教を持たない種族がないところを見るとヒトという種の本能なのでしょう。思想研究は「無用」のことのようですが全くなくしてしまうとヒトではなくなるような気がします。
二宮尊徳の哲学は現実生活に密着し、役立てているところに好感が持てます。外国の哲学・宗教は外交の上で必要ですが自国の統治に採用するといずれ歪みが出てくるでしょう。パールバックの『大地』にイナゴが雲になって襲い掛かり通りすぎていくシーンがありました。日本に居ては考えられないことですね。風土と思想とは切り離せないと思います。外国に、地方に、家庭にとそれぞれ思想がありますが、歴史・風土とあわせて研究しないことには理解しにくいし役にもたたないのではないでしょうか。役に立つことが学問の正道ですよね?
書風は藤原行成(972〜1027)の白氏詩巻(1018)を参考にしました。
平安時代の初期には三筆(嵯峨天皇・空海・橘逸勢)がでました。ほかに最澄・藤原敏行・菅原道真も書名が高く、いずれも書風は唐様でした。中期になっていっそう日本的自覚が高まって、小野道風(894〜966)は新様式をつくり、藤原佐理が続きました。行成の成長した時代には道風の書は一世を風靡していました。道風に傾倒した行成は藤原氏の全盛時代の優美、温雅、佳麗の文化に完全に適合した和様体を完成しました。小野道風・藤原佐理・藤原行成を三跡と呼びます。