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NO.11 【 南無 】
---解説【仏教】---


このページの内容

種田山頭火の自選句集「草木塔」の冒頭

草木塔
 若こうして死をいそぎたまへる 母上の霊前に 本書を供へまつる

鉢の子
 大正十四年二月、いよいよ出家得度して、肥後の片田舎なる味取観音堂守となったが、それはまことに山林独住の、しづかといへばしづかな、さびしいと思へばさびしい生活であった。
 松はみな枝垂れて南無観世音



 趙子昂と禅宗

書風は元の趙孟フちょうもうふ)(兆+頁)(1254〜1322あざな)子昂すごう))の「六体千字文」の隷書 (NO10夢、の解説をご覧ください)を模倣しました。
 趙子昂には中峰明本に宛てた手紙が十数通残っています。中峰明本(1253〜1323)は禅宗の高僧で隠遁的性格が強く、またその教えは念仏をとなえる浄土の思想をも内包するものでした。
 禅宗は仏像を拝することはせず、以心伝心で釈迦の教えを伝え悟りを開いてくれた法の上の師をもっとも大切にするそうです。
 趙子昂は中峰より約10歳上で、47歳(中峰の37歳)頃から趙の卒年の62歳(1322)まで交友の記録があります。中峰を心から尊敬し、また自分の体調や病気のこと、妻への思いやりや亡くしたときの傷悼、長子、幼女を失った悲しみなど、赤裸々に述べてその救いを中峰に求めており、精神的支柱といえるほど大きな存在であったと思われます。
                         cf「中国法書ガイド49 元・趙孟フ集」--二元社-- 

解説は画像の下に続きます



松はみな枝垂れて南無観世音




 運とは

良いことをすれば良い報いがあり、悪いことをすれば悪い報いがある。というのが宗教共通の、神の摂理といえますが、それぞれの宗教には特徴があります。
 「新講二宮尊徳夜話」--黒岩一郎著・明徳出版--に仏教の特徴が書いてありました。(壷竹訳)

  二宮尊徳は言った、世のなかの人は運ということを心得違いしている。たとえば柿梨などを籠より打ちあける時は、自然と上になるのがあり下になるのがあり、上を向くのがあり下を向くのがあり。このようなのを運と思っている。運というものがこのようなものなら頼りにできない。なぜなら人事を尽してできることではなく偶然できることなので、再び入れ直してあけると全部前と違う。これは賭け事の類であって運とは異なる。そもそも運というのは運転の運であり、いわゆる廻り合わせといふものだ。
 運転は日月の運行を基にして、天地に定まった法則があるので、「積善の家に余慶あり積不善の家に余おう)あり」と易経にある通り、何回やりなおしても此の法則にはづれずに廻り合わすことをいうのだ。
 よく世の中にあることだ。提灯ちょうちん)の火が消えたために禍を免がれ、また履物の緒が切れたがために災害をのがれる等のこと。これは偶然ではなく真の運だ。仏教にいう所の因応の道理は即ちこれだ。

  翁曰はく、世人、運ということに心得違ひあり。たとえば柿梨などを籠より打ちあくる時は、自然と上になるあり下になるあり、上を向くあり下を向くあり。かくの如きを運と思へり。運というもの此の如きものならば頼むにたらず。なんとなれば人事を尽してなるにあらずして偶然となるなれば、再び入れなほしてあくる時はみな前と違ふべし。これ博奕ばくえき)の類にして運とは異なり。それ運というは運転の運にして、所謂廻り合わせといふものなり。
 それ運転は世界の運転(日月運行)に基元して、天地に定規ていき)あるが故に、積善の家に余慶あり積不善の家に余おう)あり(易経より)、幾回旋転するも此の定規にはづれずして廻り合わすをいふなり。
 よく世の中にあることなり。提灯ちょうちん)の火の消えたるために禍を免がれ、また履物の緒の切れたるがために災害をのがるる等のこと。これ偶然にあらず真の運なり。ぶつ)にいふ所の因応の道理即ちこれなり。

 仏教

 儒教・道教に積善の家に余慶あり積不善の家に余殃ありといっているのは天地の間の法則で、昔も今も変わらない格言だが、仏教でなければはっきりとは分からないことがある。
 さて仏教に三世の説という、過去、現在、未来と因果の理によって転生して行くといふ説がある。この理は三世を通して観なければ、必ず疑いが生じる。疑いの甚しいのは、天を怨み人を恨むに至る。三世を観通すれば、此の疑いは生じない。雲霧晴れて晴天を見るように、みな自業自得である事を知る。だから仏教は三世因縁を説く。これは儒教の及ばない所だ。

  儒道に積善の家に余慶あり積不善の家に余殃あるは天地間の定規、古今に貫きたる格言なれども、仏理によらざれば判然せざるなり。
 それ仏に三世の説あり(過去、現在、未来と因果の理によって転生して行くといふ説)、此の理は三世を観通せざれば、決して疑ひなきことあたはず。(たとへば現世だけ見たりしてゐると、時に疑が起こったりする)疑ひの甚しき、天を怨み人を恨むに至る。三世を観通すれば、此の疑ひなし。雲霧晴れて晴天を見るが如く、みな自業自得なる事を知る。故に仏教三世因縁を説く。これ儒の及ばざる所なり。

 真理

 今ここに一本の草がある。現在若草だ。その過去を考えてみれば種だ。その未来を考えてみれば花が咲き実がみのる。茎が高くのびているのは肥料が多いのが原因だ。茎の短いのは肥料がない結果だ。その真理は三世をみる時は明白だ。
 なのに世の中の人はこの因果応報の真理を仏説といっている。これは書物上の論だ。これをわが流儀の書かざるの経に見る時は、釈迦がいまだ此の世に生れてない昔から行われている天地間の真理だ。書かざるの経とは私の歌、
  おと)もなく香もなく常に天地あめつち)は書かざる経を繰り返しつつ
に言っている、いつでも行われ全てのものに適応している真理を言う。此の経を見るには肉眼をとじ心眼を開いて見るべきだ。そうしなければ見えない。肉眼で見えないというのではないけれども徹底しないということだ。
 因果応報の真理は米を蒔けば米が生え、瓜の蔓に茄子のならない真理だ。此の真理は天地開闢より行われて今日に至っても違わない。日本のみならず、万国皆同じ。であるから天地の真理であることは説明しなくても明らかだ。
 今ここに一本の草あり。現在若草なり。その過去を悟れば種なり。その未来を悟れば花咲き実法みの)りなり。茎高くのびたるは肥料こえ)多き因縁なり。茎の短きは肥料のなき応報なり。其の理三世をみる時は明白なり。
 しかして世人この因果応報の理を仏説といへり。これは書物上の論なり。これをわが流儀の不書かかざる)経に見る時は、釈氏(釈迦)いまだ此の世に生れざる昔より行はれし天地間の真理なり。不書の経とは予が歌に、
  おと)もなく香もなく常に天地あめつち)は書かざる経を繰り返しつつ
に言へる、四時行はれ百物なる所の真理を言ふ。此の経を見るには肉眼をとぢ心眼を開きて見るべし。しからざれば見えず。肉眼に見えざるにはあらねども徹底せざるをいふなり。
 それ因報の理は米を蒔けば米が生え、瓜の蔓に茄子のならざるの理なり。此の理天地開闢より行はれて今日に至って違はず。皇国のみにしかるにあらず、万国皆しかり。されば天地の真理なること弁を待たずして明らかなり。


 ウリのつるにナスビがならない、を遺伝の法則とのみとらえず、行動と運の関係に見ているところに注目ですね。死んでおしまいになるわけではないとすると、犯罪や横暴のいましめ、陰徳や修養の勧めにもなります。ただいま越冬中という人も今が花盛りの人も最善を尽くしておこう、というところでしょうか。

 写経のこと

日本書道史のなかで仏教とかかわりの深い、写経について今回は書いてみます。

  • 写経のご利益
     ご利益を願うときに、テルテル坊主、千羽づるとならんで、愛好されている写経は、手作業であり、芸術性の点からも、心理療法として立派にその役目を果たしていると思います。さらに書のお稽古としても手ごろです。般若心経が多く書かれますが文字数が多くてもかまわない方は他のお経を書かれても良いでしょう。書き終えて、「願わくは此の功徳を以ってあまね)く一切に及ぼし我等と衆生と皆ともに仏道をじょう)ぜんことを」と唱えると極まりますね。

  • 写経の歴史
     聖徳太子から始まって、奈良時代には仏教による国の統治を進めるため、平安時代には宗教心によって、多くの写経が書かれました。平家滅亡後の新興仏教は経典に重きをおかず写経は下火になりました。江戸時代も版経ですませ、明治政府の廃仏毀釈もありました。このごろは寺の勧進や霊場廻りの際の奉納、カルチャーセンターの講座など盛んになっていますね。芸術書の展覧会でも見かけます。  cf.NHK趣味百科・写経-般若心経を書く-

  • 手鏡と写経
     桃山時代頃から江戸時代に作られた古筆手鏡は古筆切れを貼りこんだいわばアルバムですが、その巻頭には「大聖武」と呼ばれる大きい字のがっしりした楷書の賢愚経、次には「鳥下絵切」と呼ばれる、小花模様など入った華麗優美な法華経が貼られます。伝聖武天皇、伝光明皇后というわけです。どちらも違う人の筆跡ですが格式ある手鏡のしるしになっています。集められている古筆切れは主に和歌集で中に物語、書簡もあり、伝聖徳太子とか伝空海とかいった写経もあります。

  • 平家納経観覧記
     装飾経で有名な安芸の宮島・厳島神社の「平家納経」を見にいった時のことです。ちょうど特別展示の期間で本物が小さい展示館に出ていました。時間がなくて足早に文字のところだけを覗いて回っていると、係の人が「ここの部分が清盛公の真筆です。」と呼んでくださって、そこを見てはっとしました。他の筆跡はまじめで穏やかな役人のようなある意味では事務的に感じられるものだったのに、清盛だけは芸術なのです。字の形はあまり違っていませんしよく整っていますが、線が鋭く伸びやかで、同じ手本で書いても違う人は違う、と思いました。親切に声をかけてくださった係の方への感謝のきもちでここに記しておきます。


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