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NO.10 【 夢 】
---解説【掲示】---

このページの内容

 今日一日を生きるにたる夢

 書作品の素材に何か言葉をと去年友人からもらった言葉です。
 (確認すると毎日新聞の夕刊のコラムに紹介されていた詩だそうです。作者の方すみません。お知らせくださればお名前掲載します。)

 夢を持つ

 つらい事のあったときには将来のための試練と納得し、生きるのに疲れたときには命があるのは何かこの世にご用があるのだと自分に言い聞かせても、生きる支えになる夢が必要です。
 衣食住、家族、仕事、健康にも恵まれているのに、否、恵まれているからこそ、今日一日を生きるための夢を探すこともあります。

 夢を飾る

 夢を見失ったり夢に惑わされないよう、気持ちのよい夢を見つけたときに書いて飾っておくのは良いですね。好きな言葉や、記念にしたい感動も、好きな作品も。
 拙宅には吉語や格言や和歌の色紙などが飾ってあります。書斎には目習い用のお手本や古典、パソコンにはこうして作りかけのお恥ずかしい自作。心が虚ろな時にぼんやりと目の前にある言葉を読んで心が開けることがあります。作品の美しさに見惚れていることもあります。
 表彰状や文芸カレンダーなどもいいですね。書は精神衛生の役に立つように思います。

 夢にもいろいろ

 夢にもいろいろありますね。黒田如水が太閤秀吉に「草履取の時から志は天下にあったのでございましょうか。」と問うと、大笑して答えたそうです「・・・どうすれば日本一の草履取になれるかだけを考えてお仕えした。ゆめにも天下を取ろうなど考えてもみなかった。」と。世界一の鉄鋼王といわれたカーネギーも「12歳で紡績工場の糸巻きに雇われて、世界一の糸巻きになろうと努力した。次になったのは電報配達夫だったがこのときも世界一の・・・」と述懐したそうです。(cf.蓮沼門三・向上52・5月号)
 そんな夢なら、世界一の笑顔になろうとか、世界一のお掃除上手になろうとか、世界一早く治る患者になろうとか、たくさん見つかりそうです。欲張りすぎて疲れてはいけません、今日一日を生きるにたる夢。

解説は画像の下に続きます




今日一日を生きるにたる夢





 趙子昂・人格

 書風は元の趙孟フちょうもうふ)(兆+頁)(1254〜1322あざな)子昂すごう))の「蘭亭十三跋らんていじゅうさんばつ)」(56歳、1310)を参考にしました。餞別にもらった王羲之の名品の拓本に感銘して32日の船旅の間毎日鑑賞し、書いた感想文で、彼の書論としての価値もあります。
 趙子昂はおびただしい量の絵や書作品を残しています。今、私の手元にある「中国故宮博物院蔵 趙子昂六体千字文」という本は、大篆・小篆・隷書・章草・楷書・草書の六体で、65歳のとき二日間で書いたものです。6000字を乱れず書いてあり、まさに神業です。高僧について禅の修業もしていたそうです。

 ところで、忠臣二君に仕えず、貞女二夫に見えず、とは生涯に君・夫は一人に定めよとも取れ、スパイになるな、父親をはっきりさせろ、という程度の意味にも取れるのですが、書道史ではそういう倫理解釈よりも漢民族のプライドの問題だと聞いたことがあります。そんな批判を受けながらも異民族に下った、清(満州、女真族)の王鐸は文部大臣としてたいした功績をあげず、二君に仕えたとして中国の書道史から抹殺されました。それに対し、元(蒙古族)の趙子昂は元王朝の重臣として活躍したことで人格をとやかくいわれながらも、その功績は大きく扱われています。

 復古

 趙子昂は南宋の、絵画と書に優れた貴族でした。宋の宮廷で使われていた王羲之を基にした貴族的な書画を研究しつづけ元王朝で広め、深めました。これによって書が中唐の顔真卿・宋の四大家といった革新的書風の後、停滞気味であった流れに、復古という息吹を与えました。

 余談になりすが、日本では王鐸を学ぶ人が多くあります。文化の違いかと思います。遠くは極悪人スサノオをも神とし、近くは戦犯も合祀する、ヤマトゴコロが感じられます。外国の人に解かってもらいたいところです。                         2000.9.19.


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