「楽」
一輪挿しの花菖蒲が、重たい花を一本の茎で支えているのを見て、背筋を伸ばしました。
そしてその姿を描いてみようと、この花のような形の字を選びました。
ハナショウブの意味はありませんが。
『ガク』と読めば「音楽」、『ラク』で「たのしい」。
複数の糸と木から成り、弦楽器を表し、上中央の白は親指の爪で、それで奏でる、そこで楽しい、という意味。
また、ドングリのような実をつけた形なので鈴のような
楽器とする説もあります。
書聖
王羲之(307〜365・東晋時代)は字形を工夫するため観察用にガチョウを飼いました。
もちろんねらいはガチョウというひとつの字ではありません。
日本では平安時代に
葦手とよばれる絵画との混ぜ書きがありました。
字形の工夫は自然観察がヒントになるようです。
篆書や
金文は絹や青銅器や瓦や陶器や石に、甲骨文にも見ることができます。
きまった筆順は ありませんが、筆が使われ、
象形・指事を組み立てた形声など現在の漢字の原型がすでにできていました。
作品は「
泰山刻石」・・・
小篆を参考に書きました。
紀元前221年、秦の始皇帝が統一国家を作ったときに、
秦と六国とそれぞれに発音や文字が違っていたのを秦に統一し、
丞相の
李斯が
大篆を省略する方向に図案化し書いたとされます。
同じ太さの直線と曲線とで構成され、丸ゴシック体に似ています。
縦長腰高にまとまり威厳もありたいへん美しい文字です。
そこには建築物を思わせる、非具象の構築的な美の追求が見られます。
小篆を代表として 篆書や金文は 現在も印に用いられます。
その理由は、たとえば円形の印面に複数の文字を配する場合、半月形やイチョウ形や扇形にもデザインできることです。
また、左右対称で太さにも変化が無いので鏡文字がつくりやすいという作業面の便利さもあります。
小篆と同じ頃、木簡や竹簡にはすでに
隷書も使われています。
隷書は小篆よりもさらに簡略で曲がり部分は折れになっています。
縦線を軽く短く、横線は木目に直角にゆっくり、木簡に書きやすい形に整っていったようです。
石や崖にも隷書が彫られました。
漢の時代には横長で角張って、横画の収筆に
八分と呼ばれる大きな三角形のひげをつけた、今も看板によく見る美しい形ができました。
木簡には看板のような丁寧な字ばかりではなく速書きや草書風の字が多くあります。
漢の時代の末期にはすでに草書や行書の筆法も現れました。
紙が発明されて紙に向いた筆遣いが生まれていたのでしょう。
漢が滅んで魏晋六朝時代には楷書も完成しました。
楷書も紙だけでなく崖や石などに刻まれたものが多く残っています。
このころ現れた天才が王羲之でした。
各書体に堪能だったとされ、楷・行・草が伝わっていて、肉筆は台湾の故宮博物院に1点現存します。
さて、「
蘭亭序」という即興の文にでてくる20個の「之」の字がすべて違っていてしかも美しい。
違いというのは4本の画が離れたり続いたりとか向きや大きさの違いといった行書の表現の範囲内で、
無作為に書いて癖のない手ですばらしいという高い評価です。
日本のかな文字を遡ればこの王羲之に行きつきます。
表音文字である仮名は単体で使われることはほとんどなく、
簡素な形に進化するにつれ連綿線も造形上重要になり虚画ではなく実画で書かれることが多くなります。
同じ形の繰り返しを好まず、視野のなかに調和する形をその都度工夫します。
一方、楷書は唐の時代に傑作が登場しました。
歐陽詢が石に書いた「
九成宮醴泉銘」は楷書の極則と呼ばれます。
右側が大き目で縦長で、右手の運動性と目の錯覚も計算に入った絶妙のバランスです。
同じく少し先に書かれた
虞世南の「
孔子廟堂碑」も類似の形、芯のある柔らかな線で、もっとも気品の高い書と称えられます。
こうして見てくると紙からデジタルに移行するとどんな文字の形ができるか、
数百年後に石に刻まれる書を見てみたくなりました。
石に遺されるのは、にじみや墨色のない純粋な形です。
造形の参考になるのは古典と、自然の風景や動植物、加えて建築・絵画・音楽・舞踊などの芸術作品でしょうか。
造形上にある書と絵画の決定的な違いは、
書は誤字を作らないよう、字典と師匠や仲間を必要とすることかと思います。
2001.4.8