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♪***うっちい作曲「池のほとりで」***

NO2樂---目次---

NO.1 初暦


このページの内容

初暦

「初暦知らぬ月日の美しく」 吉屋信子の句を

ある著名な財界人が好きな俳句をのインタビューに答えてあげられました。
歳時記で確認したとき最後の一音が「き」でも「さ」でもなく「く」であることに感動しました。


初暦知らぬ月日の美しく


書風は「十五番歌合せ」(伝藤原公任・院政期)を参考にしました。
平安古筆の優雅な曲線美という概念をうちやぶった意表の名筆です。

右から左の行送り

ところで、縦書きの行送りがなぜ右から左なのか不思議に思っていました。
まず、子どもの頃えんぴつで右手の小指側が真っ黒になりました。
大人になってペンや小筆で書くようになった手紙は小指ですって汚れて書きなおしたことが幾度もありました。

文字は右手で書くので筆順は自然と左上から右下へ運びます。
ほとんどの字が右下で終わり、次の字は左上から始まるのですから
横書きはもとより縦書きにした時の行送りも左から右が合理的です。

右から左の行送りは中国の古典からそうなっています。
もしかして、古代だからこその理由があったのかもしれないと思ったりもします。
動物の骨に刻んだり、木片や絹に書きつけたりする時になんらかの都合があったのではないかと。

しかし、紙が普及して1900年、(後漢の蔡倫が紙を奏上したのは105年)
書風は楷書に定着し、日本語はタテヨコ自在に書くようになりましたが変わっていません。

この「初暦」の句で思いあたったことを書きます。

右手で書くと、からだの中心より左に筆があると鋒先が見えません。
少し右に手を置き、書きあがった行は右手の下に入って隠れます。
目の前に見える景色の大部分が「知らぬ月日の美しく」なのです。

もし行送りが左から右であったなら過去のつじつま合わせに気をとられて
「意前筆後の原理」というものが働きにくくなります。
大胆な作品はできなくなるでしょうし、書く楽しみも損なわれるかもしれません。

中国古来からの易という占いがありますが、
その看板にある 実線と破線六本を重ねたマークは
筮竹(ぜいちく)で奇数か偶数かを占った結果を下から上に積み上げるように書いていきます。
山ができるのも草木が育つのも下から上という象形・指事です。

すると、縦書きの行送りは過去が右手の下に隠れていき、未来が左に開けていく
精神的には納得できる構造を持っているといえます。
特に歴史の本や年表が縦書きで右から左へ行を送っているのはめでたくて良いと思います。
横書きなら地下都市を造る、木の根が伸びる、というところでしょうか?


縦書き文化で書が発達した理由

横一行に書く時、実用看板などは左から右、芸術作品は右から左が多いようです。
これは、書作品があくまでも縦書きであるという感覚からきているのでしょう。
では、なぜ書作は縦書きなのでしょう。
横書きの西洋は、東洋のように一生かけて字の書き方を習い楽しむことはしません。
そして東洋の書は芸術として高い地位を保ちつづけています。

書をたしなむ友人に理由をたずねると、縦線を引く快感、という答えが返ってきました。
つまり腹筋運動のことです。
人はカニ歩きより前に歩くのが好きということではないでしょうか。

横書きする時には体重移動が横なのでフットワークが大切になります。
ちょうど学校で習ったフォークダンスのように。
日本の伝統にはあまり見かけない動きです。

筆を使う仕事で筆耕というのがありますが、筆と鍬とは同じように動かします。
剣道の素振りのようです。
日本人は縦振りの快感を楽しんで仕事をしたのではないでしょうか。

炊事・農事・大工仕事・山仕事・・・各種道具は腹筋を使う形をしていて西洋と違っているようです。
今日、力仕事のほとんどが機械化されていますが、基本的に日本人は仕事好きな感じです。

日本語はなめらかな発音によく似た続け書きを用います。
また、農業国ですので国民ほとんどが縦書きの快感を遺伝的に知っています。
そこで中国が横書きになっても日本には縦書きが残る可能性が高いように思います。

中国は表意文字なので崩し字は使いますが続け書きはあまりしません。
それに、中国は陰暦つまり月齢をつかった暦を農暦と称しています。
陰暦は人との待ち合わせには便利ですが農事には向きません。
日本の農事暦は太陽暦で、本来農業国であることが明らかです。

日本の高い文明は高い識字率に支えられ、
その識字率は不合理に見える漢字と縦書き、和歌の調べに支えられているように感じます。
自国語だけですべての表現ができるめずらしい言語、日本語は
一生懸けて学びつづけ楽しめる豊かさと不合理性がとりえではないかとこのごろ思うのです。

活字になっても縦書き

活字をこうして簡単に使えるようになっても新聞や文学本はなぜ縦書きなのでしょう。
人の目は横に2つ並んでいますので横書きの方がはやく読めるはずです。
それは、縦書きのほうが腹に入るように読めるからではないでしょうか。

近頃は頭に入ればよいように考えられていますが、
ひと昔前までは腹に入ることが大切で、頭勝ち、つまり、傲慢な人は嫌われ者でした。

日本の文化が腹の文化である事を伝える芸事や仕事はたくさんあると思います。
書もその一つと意識して伝えたいものです。
不合理でも縦書きは将来が明るいように感じますので。  2001.3.27

書き写す作業

 No23の作品を書いていて気のついたことがあります。
半紙を横長に置いて左から右に一行で4文字、参考手本を見ながら下書きを作っていて、1文字目は良かったのですが、2文字目からは濡れている墨の上に手本を乗せる訳にいかないので上部に置きました。
つまり、書き写す作業のとき左から右に行を送ると手本や原本は左に置けないということです。
筆先のすぐ横から書き写す作業なら初めて見る字でも真似しやすいので簡単です。
これが右から左へ行を送ることを維持してきた大きな原因ではないでしょうか。

 もうひとつ、漢字が縦書きである理由の方ですが、WEB上でヒントを得ました。
横書き文化では、アラビア文字のように粘土板や石版といった硬いものに書いていたところは右から左、紙のような柔らかい物に書いた文字文化は左から右で、力の入れやすさが原因とのことです。
とすると、もし漢字が亀甲に宣旨を刻むことから始まったとした場合、縦書きで右から左というのは形の構成と刻む手順から考えて合理的だったのではないかと思います。加筆2001.8.17




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