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光る

 

森羅萬象の目に見ゆるものは皆光るなり

二宮翁金言集(井口丑二著)より

月日の光の見ゆるは合紋の合いたるが如し。 己も光り、月日も光るゆえ見ゆるなり。
目のなき者は、己に光なき故月日にも光りなし。

土は下に在るものなる故、何十丈の上に置きても隙ある毎に下に落つるなり。
桶をさかさまにして水中に入るれば中に風ある故に水入らず。その風上に出で去れば水、中に入る。
これ自然にして物皆己己(おのれおのれ)が住所へと帰るなり。

まだ「空気」という言葉がない時代、「風」と表現して、目に見えないものの存在を確信し、その見えないことを光がないと分析している。私が見ているのは、私がそちらに意識の光りを向けているからであり、私が見ているのは物の実態ではなくその物が発している光にすぎない。

当時みずから洋学をなさず洋学者との交際もなかったにもかかわらず、その思想見識はおよそ西洋近世の学術と符合するものがあるのは、実地実物の真理はほとんど洋の東西で変わることがないためであろう。翁の知識は非凡の天才と実験的工夫修養によって切磋琢磨して成ったものである。(引用:二宮翁伝/井口丑二著,明42.9 )

こうして自然を観察して原理原則を見つけては書いている言葉に哲学の響きがあり、実業を考えるヒントになる表現であるところに、尊徳の目の付け所を感じる。
また、理科や哲学の勉強は書物では成しがたいとも感じる。


背景写真は極楽フィッシュウォッチング!からお借りした。イソバナとウミシダ(慶良間)。

作品写真

原寸 24cm×32cm
筆:玉毛小筆
墨:胡麻油煙墨 (寧楽)
紙:中国画仙手すき半紙 
美術館で見た黄庭堅の作品が忘れられなくて、図録を出して見ているうち書きたくなって「光」をテーマのこの言葉を選んで書いた。