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慶國の書作 14
資料:基隆書道會成立時

基隆書道會成立時所攝 當時顧問有史邑道人

(僕有..大正十四年到昭和十六年書鑑附刊史邑先生細字帖
臨此帖已經是二十五年前事了  因習王羲之題筆陣圖 
知須習漢隸與秦篆為本師 故數十年獨學  均以漢隸為宗 不以楷書入門

僕是於一九六九年加入基隆書道會師事曹容先生
當時十九才
僕是基隆書道會功力最差..天資最差..最不用功者 慚愧之至)

是東璧書會同人於一九二四年九月二十五日所攝
東璧書會為基隆書道會前身
當時顧問有史邑道人

基隆書道會-1




是一九四零年五月十二日基隆書道會成立時所攝
當時顧問有史邑道人

基隆書道會-2




基隆書道會-3



基隆書道會-4




このたび、台湾の慶國先生から辻本史邑先生の細字手本画像を送っていただいたのは本当に嬉しい。
「慶國の書作」の7ページとこの下に掲載しましたので、ご覧下さい。

今日隆盛な関西の書道会の基礎が辻本史邑先生によって築かれ、台湾にも同朋がおられるということに感慨を覚える。(壷竹)

史邑先生の寧楽書道会の雑誌「書鑑」は大正14年創刊。
昭和22年 「日本書芸院」の前身「日本書道院」の機関誌に。(初代理事長に辻本史邑先生が就任)
昭和38年133号まで。「日本書芸院」の機関誌は「会報」に代わった。
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史邑先生(明治28年〜昭和32年)は奈良県生まれ。
近藤雪竹先生門下。
奈良師範学校教諭。
33歳のとき教職をやめ、寧楽書道会会長として書道の普及啓蒙活動に専念。
古代日本の政治の中心地大和(奈良)を誇りとし、「寧楽」は万葉仮名で記した「奈良」である。日本のそして、世界の大和を目指した。
昭和7年「小学校書方練習手本(共著)」と「習字教育の根本的革新」を出版。
昭和8年「三体千字文」「国民習字教範」「五体墨場必携」を著す。
昭和10年〜14年「昭和新選碑法帖大観」
昭和16年「昭和法帖体系」全15巻。
雑誌「書鑑」は1万5千部を超え、国内(朝鮮・台湾を含む)と満州へも発送。

先生の学書は、基礎に晋唐を学んだ後は
1.大正・昭和初期=日下部鳴鶴・近藤雪竹の師風(金石)
2.明清時代の劉石庵 何紹基 王鐸 金農(主に行書)
3.鉄斎・仙崖(晩年)
と、目まぐるしく勉強範囲を広げている。
当時鑑賞はしても手本にはしなかった明清時代を研究したことが斬新。
(「書道ジャーナル 季刊17」より)
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辻本史邑手本

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